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Special Cover Talk

007 Candle JUNE with Hirasawa Family



Candle JUNE(以下、C.J):地震が起こってから、何が一番厳しかった?

平澤由香(以下、おねえ):地震の後の集団生活が、いい意味でも悪い意味でも、厳しかったですね。もちろん、ひとりの世界なんて全くないし。私たちのところは電気もガスも全てが止まっていて、1ヶ月間、避難所に泊まりっぱなしでしたから。陽が登って明るくなった頃から地震の片付けを始めて、暗くなったら寝るという、昔のお百姓さんのような生活を送っていました。そして、余震が続くなか、とりあえず水と食料を確保しよう、冷蔵庫の中の食料が悪くならないうちに持ち寄ってみんなで助け合おうと提案しても、みんなすぐにはついてきてくれませんでした。集団生活では、人間のすごく悪い面も見えてしまう。だれも冷静に判断できず、パニック状態だったんですね。

C.J:集団生活って何人くらいで、だいたいどのくらいの期間、続いていたの?

おねえ:場所によって違いましたが、私たちがいたところには100人以上はいました。1ヶ月くらいですかね。お年よりから奥の方に、私たち兄弟は3人で玄関に寝ていました。その後は車庫で生活をしていました。

C.J:川口町にも自衛隊の救助などは入っていたの?

平澤康宏(以下、ヤス):はい。踊る大捜査線のようでしたよ。自衛隊がテント村を2箇所に作ってくれました。ちょうど川が流れているところだったので、そこにお風呂も作ってくれて。これは本当にありがたかったですね。

平澤康隆(以下、おにい):川口町は何処へ行く道も寸断されていたから、空へ、物資SOSのメッセージを送ったんです。最初のうちは自衛隊がヘリで物資を運んできてくれた。2週間後くらいに応急処置で道が直ってからやっと、トラックで荷物を運べるようになったのですが、運搬作業もぜんぶ自分たちで手伝っていました。いろんなものを物資としていただきましたが、気が付けば物資の倉庫はいっぱいで、賞味期限が切れてしまっているものまであった。数が揃わないとみんなに配れないらしいんです。

ヤス:初めてトラックが来た時は、涙が止まりませんでしたね。自分たちのまったく知らない人が食べ物や財産をもってきてくれるなんて本当に嬉しくて、トラックの運転手さんに頭を下げて泣いてしまうくらいでした。

おにい:地震が起きるまでは、車が道を走っていることって当たり前だったじゃないですか。だから、明るいのに車が走ってない状態というのが、本当に怖かったですね。。







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