Candle JUNE -Official information & Candle Odyssey Reports from Candle JUNE-






Special Cover Talk

007 Candle JUNE with Hirasawa Family



平澤康宏(以下、ヤス):JUNEさんが新潟に来てくれたのは、地震から半年後でしたよね? ある日、小千谷の方へろうそくを届けたがっている人がいると、友人から相談を受けたんです。小千谷へ送ろうとしたら、ろうそくが人の手に渡らずに倉庫へ入ってしまうと言われたのだと聞いて、僕が役場に話をしたんですよね。その後、新潟のプラハでやったイベントで、初めてJUNEさんと会いました。そこから、仮設住宅へ行きたいという話を聞き、それを手伝ったりするうちに、イベントに関わるようになったんです。

Candle JUNE(以下、C.J):2005年の2月に川口町で最初のイベントをしてから、もう5回目になるよね。復興イベントということではないんだけど、新潟の人に向けて何かしたいという想いがあって、2回目くらいからヤスくんに窓口になってもらった。

ヤス:僕は自分自身で復興活動をしようと思って始めた訳ではないんです。JUNEさんが新潟に来てくれたことが嬉しくてどうしてもそのお礼がしたくて会いに行ったら、JUNEさんがまた川口町に帰って来てくれて、もう1回イベントをやろうと言ってくれました。そうしている間に、僕も出来る限り協力したいと思ったしJUNEさんに、スタッフの皆に会いたかったんです。そして、それを支えてくれたのが、おにいとおねえ。そのうちに沢山の友達も繋がってきて活動が始まりました。

C.J:2回目が終わった時に、今まで社会に対してあまり興味を持っていなかった子供たちが積極的に役場に行ったり、大人たちと会話をするようになったりしたのが一番嬉しかったって、ある人から聞いたんだよね。自分としては、それが一番やってよかったと思えた。

ヤス:3回目の時は、僕はJUNEさんに来てもらってばかりだから、そろそろ逆に町から呼びませんかという提案を役場にしてみました。役場の方も理解してくれてそれが叶って雪祭りでJUNEさんを呼ぶ計画だったんだけど、10年ぶりの豪雪で残念ながらお祭りが中止になってしまい急遽役場の前で、ボランティアの人たちとみんなで復興の雪明りを作りました。

C.J:最近はCandle JUNEの方から、こういうことをしたいのでお願いします、というよりは、新潟のみんながすごく積極的にやってくれているよね。

ヤス:でも僕たちは、まだまだ何も出来てないなっていう実感がありますね。キャンドルのデコレーション代や交通費だって、ぜんぜんまかなえていないし。でも僕たちに可能な限りの精一杯のもてなしと出来ることは頑張ろうといつも真剣に考えています。せっかく新潟に皆が来てくれるなら楽しかったな〜と思ってほしいから。またみんなに帰って来てほしいといつも思います。

平澤由香(以下、おねえ):変わってきたことと言えば、仲間が増えてきたことくらいかな? みんなで一緒に何かしようというつながりだけは出てきたと思います。毎回、イベントを重ねるたびに人数も多くなっている実感はありますね。






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